な環境の中で、海や船に全く興味を持てない人間が果たして生活することができるでしょうか。
大昔から船の用語には独特のものが使われていますが、それはまさに「船が乗り手を選ぶ」ためではないだろうかと私は思っています。「なぜ船では右左と言わずスターボード、ポートと言うのだろう」「なぜ船では1階、2階と言わずに〜甲板と言うのだろう」「なぜ船では右舷側が奇数で左舷側が偶数なのだろう」。そんな事柄から船に興味を持つことができれば、過酷な船上生活もきっと楽しいものになるのではないでしょうか。大昔の船乗り達はその過酷な生活の中にもロマンを求め、数々の言い伝えを生み出し、そしてその精神は今日なお生き続けています。そして、その精神こそが船に乗る者としてのライト・スタッフ(正しい資質)なのではないでしょうか。
欧米諸国では海も船も女性に例えられますが、船に乗るための条件というのは恋愛のようなものなのかも知れません。海あるいは船という女性に恋をして、興味を持ち、あの手この手を駆使して色々なことを知り、共に暮らしていく。そういう観点から見ると運航チームの面々は年がら年中潜水船だけを想い続ける、なんと純情一途(?)な男達だとは思いませんか?
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